774pt日記

私の半径5m その2

やっぱり予防給付はどんなにやっても最後には社会的な理由に縛られてしまい現場が消耗する件について

予防給付というサービスがある

予防給付の利用者は要支援1とか要支援2とかの判定を受けた方だ。内科的、外科的な入院後に廃用症候群になってきた方などが多いように見える。
そんな方に運動器の機能向上として各種のプログラムを行う。ほかの方はどうか知らないが私は介護給付の人より好きな仕事だ=====

先日利用者の評価を実施した。みんながんばってくれて歩行速度が向上した。歩行速度は転倒と最も相関がある重要な指標だ。転倒しないようにするというケアプランの目標においてそれは大きな成果となる。しかし、

現場の私にとっての成果とは予防給付を卒業し二次予防や一次予防に進級してもらうこと。ケアマネや家族にはそのままサービスを継続してもらうこと本人は?

そんな古典的なジレンマがやっぱり訪れるのだ。
これは介護給付でも言えることだが、予防給付でも同様だ。
二次予防や一次予防はどうなんだろう。やっぱ同じなのかな。

以前も歩行困難な方ががんばって家の中を歩けるようになって、またがんばって、今度は外も歩けるようになった次の日に玄関の上履きを隠されたという話を聞いた。

うーん、急性期の人も回復期の人もがんばってリハしてくれて自宅に帰ってその後こういう状況があるのは維持期がもっとがんばる必要があるのかとも考えるが、正直限界だとも思う。
一度テンパってケアマネや家族とやりあったこともあったが、結局最後は「あなたがみてくれるの」になるから。
うまくいくこともあるだろうし、基本的には現場が何ができるか、提案も含めて振り返ってフィードバックの繰り返しだと思う。でもどこかのポイントでこのジレンマが生じることが多い。そしてまだそれを乗り越える方法を知らない。
結局次のケアプランもお決まりの台詞で幕を閉じる「じゃ、継続で」

介護予防をめぐるひきこもごも

柔道整復士 鍼灸師 あと健康運動指導士 理学療法士などの覇権争いがひどい。

介護予防は上記団体があつかってきたクラシックなマーケットからの脱却を図るべく、格好のターゲットとなっている。密かにレッドオーシャン!!!!!!!

介護予防で不思議なのはニーズもノウハウもあるのにそれがマッチしないこと。鍵はその報酬なのかなと思う。
本気で高齢化社会に立ち向かうなら必須の事業だと思うのだけども。
とあるところで聞いた話ではかつて栄華を極めたあの筋トレマシーンたちも廃棄 また、行政からの予算カットによって完全にスケールダウン。本当にどうなってしまったのか。

「病院」の世紀が終焉を迎えつつある 

いい記事だ。そりゃもうかわらなきゃならんだろ。

医学書院/週刊医学界新聞(第2916号 2011年02月14日)

特によかったのは

松田 北九州にある「ふらて会」理事長の西野憲史先生が「半農半患者構想」を提唱しています。高齢者は,デイケアや通院だけが社会参加になっている場合が多いですよね。そういう人たちのために福祉農園をつくったわけです。通院やデイケアがないときは,農業指導員に教わりながらその農園で働いて,採れた作物を持って帰ったり,病院の食堂で食べたり,病院の売店で売ってお小遣いを稼いだりする。病院側には収益性のないサービスですが,通院の延長線上に社会参画が生まるのです。

医療から介護へ 急性期、回復期、維持期ときた流れがいよいよその先という議論を本格的に展開し始めたと感じた。
今までもオルタナティブな活動は見られた。実際現場にいて感じるフラストレーションはいくらリハビリしてもその先がADLなどの身の回りの自立だけの話ととどまったり、形だけのQOLになったり、なんのためにリハビリしているのかわからなくなる。

介護予防で効果が上がって、せっかく靴を履いて外出した次の日家族に外履きを隠されたという利用者の話を聞いた。

もう在宅とか施設とか関係ないね。

だからって高齢者の皆さんも至れり尽くせりでは困るよ。僕らはどんどんリハしてみんなをまた最前線へ送るよ。そしてやっぱり働いてもらうよ。もうケアプランやリハ計画だけの社会参加なんていらない。どんどん働いて所得税を納めてもらう。そのためにこれからのリハはある。

病院の世紀の理論

病院の世紀の理論

ボランティア渋滞

連休は東北道を上って下った。片道400キロの行程をおよそ4、5時間かけて走った。
連休の東北道というのは前半下りが渋滞し、後半は上りが渋滞する。特にこの時期は東北で開かれる様々なまつりが関東の車を引き連れる。

あの大震災から初めてのゴールデンウィーク。私は妻の実家の法事に向かうため東北道を上って下った。いつもの行程と違うのはあの大震災のせいだろう。
「ボランティアバス」「支援物資輸送中」「○○被災者支援の会」
様々な垂れ幕をつけたバスやワンボックスが反対車線を行き来する。私の地元は内陸で今はライフラインも復活し少しうつな気分とマンホールが盛り上がったまともに走れない県道とどっかに飛んでった瓦屋根がかろうじてあの日を思い起こさせる。
ラジオでは沿岸の国道や有料道路の渋滞を知らせている。対向車線を走っているあの垂れ幕付きの車たちはやっぱりそこへ向かうのだろうな。

何かすこしおかしな気分にもなる。確かに沿岸の皆さんは大変な状況だと思う。実際私もお世話になった方が津波に流されpersonfinderではあまり見たくない結果が知らされた。友達は家に帰れず地元の消防団で遺体捜索に当たったらしい。

自分が感じる違和感はなんなんだ。この連休に大挙して押し寄せる善意という波。確かにボランティアだから自分のできる範囲でできることをするのが基本で、仕事が休みの時に貴重な時間を使って困ってる人を助ける。シンプルだ。すばらしい。
でも違和感が離れない。あの渋滞を見てなぜか違和感がある。

テレビではサービスエリアで行われているボランティアセンターの話がでていた。そこではどの地域でどんなボランティアが必要か案内しているらしい。そこで初期の振り分けをしているようだった。センターの人が「宮城ではもうボランティア受付は終了しています」というと「えー」 「せっかく遠くからきたのに」

全国のいろんな善意はなんかすごい固まりになって押し寄せてきている。悪い事ではない。すばらしい。ボランティアをさばく行政の対応も問題とされているとtimelineは騒いでいる。実際そういうこともあるのだろう。
でも連休にみんなで固まって押し寄せてもみんなで高速のトイレで渋滞して沿岸へ向かう狭い道で渋滞して、手際の悪い行政に振り回されるんだ。

その気持ちはあと10年持ち続けておいて欲しい。少なくとも来年の連休までも同じ気持ちでいて欲しい。行動はすばらしい。でもこの状況はまだまだ続く。

ガソリン前線異常あり 私の被災生活1

指令 氷点下5度の中およそ7時間エンジンもエアコンもきった車中で待機 
幸いht-03aradikoが聞ける(バッテリーしだいだが)から問題は寒さ対策だ。自宅から湯たんぽを持参しフリース毛布で防護
完璧だ。
しかし、これは異常だ。どうなってる。今日で1週間。停電も回復した。水もきた。ガソリンだけがまだだ。

3時周りはまだ暗い。トイレは......よしできる。足音が聞こえる。はっ反対からも。
お、お、同じ音がする。みんなふしぎと一人がでるとみんなで並んでできる。

4時、車列はまだ動かない。空がじょじょに白んできた。熱々のコーヒーがあるがトイレを考えるとまだ飲めない。

5時、完璧に夜があけてきた。もうトイレまでポイントオブノーリターン 

6時、radikoをつける。gps測位完了 j-waveからジョンカビラのご挨拶を聞いて和む。

7時、車列異常なし。周囲の民家から何事だ!とみんな飛び出してくる。ガラス窓をたたく一人のご老人来襲。窓を開けると「ほれ、これしかなくてごめんな」と みると ぽたぽた焼き 
   次にその奥さんと思われる方が「コップある?」『少しだけどお茶どうぞ」 なみだがでてきた。
   
   ちらっと後ろの様子を振り返る。ん、あ、あれ全部車だよね。目視できる限り数十キロは続いているな。

8時、作戦開始だ。前方の部隊の車列に徐々にテールランプがついている。「うごいたぞー」隊長の指令が発せられた。いよいよだ。エンジンスタート。メーターは残り1/4。

9時、車列は進み交差点へさしかかる。そこで「緊急車両通行します。道をあけてください」とのスピーカー音。みると「佐賀」「大分」「長崎」などの九州連合の警察特殊車両の車列が大挙して反対車線を通行する。 こんな時だがやはりたよりになるのは皆さんだ。頼むぞ沿岸を救ってくれ。

10時、いよいよ敵陣地へ。ぞくぞくと給油をすませる。

10時30分 いよいよ俺の順番wwwwww 「2000円分になります」 「えっ」 「2000円分の給油になります」 「え、はい お願いします」 

今日の戦績は負け 7時間の持久戦で得たのはリッター168円のレギュラーガソリンを2000円分 およそ12リットル弱。

radikoht-03aもすでにダウン。俺もダウン。今夜夜勤。

次の戦場を探すのみ。トライあるのみ チャレンジあるのみ。 

しかし、今日person finderで何人か消息を確認できた。あまり知りたくない結果であった。まだ前向きになんてなれないし、後ろ向きはどっち向きかもわからない。次の1時間とか、今夜とかのスパンでしか頭が回らない。

今言えるのはテレビはもうみない方がいいということだ。あれはよくない。よくないぞ。

だからいまのヘビーローテーション

本当に心配しているのは介護が必要になったらどうするかではなくて

医療介護CBニュース - キャリアブレイン

介護が必要になった後の体制として面白い。救急の先生ってのがまたいい。でもみんなが本当に心配しているのは介護が必要になったらどうする?なんだろうか。はっきりいってそれでは遅い。

私は介護予防や生活習慣病予防に対してはやってみる価値があるものと位置づける。

はっきり言ってこのまま高齢化社会を迎えるにはあまりにも戦力不足だ。そしてなんだかんだ言っても介護が必要になる状況はきつい。本人もさることながら家族がきつい。上記リンク先のような先駆的な取り組みは評価できるが戦略としてアフター介護なのである。私はもう少し予防が必要で効果があると考える。ここでいう効果とは医療費抑制などの直接的な経済効果ではない。何もしないよりはなにかして望んだ方が影響は少ないという効果だ。
ピンコロ死について

ゴールとしてのPPK(ぴんぴんころり)はほぼ不可能であろう。これは文字通り神頼みの域に達した願い
朝日新聞デジタル:どんなコンテンツをお探しですか?

ぴんぴんころりは無理としても病気になっても被害を最小限に抑える戦略はもっとあってもいいと思う。本人のフィジカル、そしてソーシャル両面からの戦術を持つことは介護が必要になってからに備えることと同じくらい重要だと思う。

みんなが本当に心配しているのは、バックアップとしての介護保険ではなくて、積極的に高齢化社会を迎えるようなもっとオフェンシブなことだと思う。

脳を鍛える学習療法ドリル―認知症高齢者のための (計算A)

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介護予防のための中高齢者のらくらく筋力トレーニング [DVD]

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地方の医療はもうPONRなのかな

地方の医療崩壊がいわれて久しいが、ホントに大変だと思う。

この記事にある地域がガチで私の住んでるところなのだが、どうしたらいいのかな。


宮城県二次医療圏におけるリハビリテーション医不足 - リハ医の独白

この辺は歴史的に公立病院が多い地域だった。国立、県立、公立、町立 と全部ある。
実家の裏は県立病院だったが、今は民間が管理運営している有床診療所になっている。でも昔は整形、外科、内科、産科があって、この町の医療はここで完結していたらしい。すごい。
当時からこの辺にいるおじいさん先生と話すと「この辺はね、給料もほかの地域とくらべてよかったんだよ」っていっていた。
昔は本当にすごいな。

それでその先生は地域の現状を医局制度廃止のせいにするのだけど、「それもあるけどねって.........それだけかな?」って感じがする。

特にリハビリなんて新しい診療科なんかは影響が大きい。私が「それだけかな」って感じるのは、いい医療を提供すれば患者さんがくるっていう理屈。プロダクトアウトってやつ。

もういい医療って概念を共有するにはあまりにも守備範囲が広くて、それを21世紀に全部カバーすることができる施設は相当なリソースが必要なはず。

マーケットインな考えはだからクローズアップされるのだけど、それもこちらの都合を含ませては意味がないから難しい。

どっちしろ今はもう田舎の医療提供者、介護事業のみんなはあきらめムードがあって、ちょっと前は声が大きかった患者さんや地域の人たちもあきらめがちらほらみられてきていて、その2つがループしている感じがする。
そこで踏ん張ってみるのもありなのだろうけど、この記事が追い打ちをかける

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そう、人がいないのである。2009年には地元の大企業二つが閉鎖された。某大手企業の下請け工場だが、引き上げていった。継続して仕事を希望する人たちは千葉とか、宮城とかなんかの工場にいった。
自分の近所に住んでいる同世代の人たちはみな、こんなとこで一生暮らすつもりはないっていつもいっている。みんなここから高速とか新幹線とかで1時間とか2時間かけて通勤している。

人が減って、インフラとしての医療もそのパイがないから量的に回らなくて、ニーズがあるのはおみとりっていう状況。
今日も地元の斎場はどこも満席で、あそこだけすごい盛況。

ようはプロダクトともマーケットもどちらもうまくいってないっていうまとめになるのかなこれ、